無という選択肢と最適解

前回の給料日は、昼過ぎまでご機嫌だった。

 

入金を確認して郵便局を出ると、予想以上の日差しに思わず目を細めた。今日は暑いしアイスコーヒーでも飲もうかという気分になり、駅前の珈琲店でテイクアウトすることにした。普段だったら、それなりにいいお値段のするコーヒーは選択肢に入らず、コンビニで済ませてしまう。でも今日は給料日だし、なんとなく気分がいい。たまには美味しいコーヒーを飲もうじゃないか。

 

店のカウンターでメニューを眺め、ふと顔を上げると、何やら気になる紙が貼り出されていた。

「水出しコーヒー数量限定 テイクアウトできます」

即決だった。以前水出し紅茶を飲んで以来、私は水出しというワードに弱い。水出しコーヒーは飲んだことないけど、きっと美味しいに違いない。

「今日はゲイシャコーヒーですよ。これがねえ、いやあなんとも、美味しいですから」

コーヒーを手渡す時に店のおじさんがこんなことを言うものだから、私の期待は最高潮に達した。

 

まずは一口。うまい。もう一口。美味しい……。雑味がなく透明感のある味わいで、口に酸っぱさが残らない。コーヒーは全然詳しくないけど、これは美味しい。いくらでも飲めてしまいそうだ。紙コップはあっという間に空になってしまった。あとから調べたところ、ゲイシャコーヒーはそれなりに高級な品種らしい。そんないいものを、私は一気に飲んでしまった。なんという贅沢。

 

水出しコーヒーのおかげで、私の機嫌は気温と共にぐんぐん上昇していた。爽やかな気分で自転車を漕ぐと、いつもより風が心地よい。水出しコーヒーマジックかもしれない。

 

帰り道、ドラッグストアの前を通りすぎると、そろそろハンドクリームを買う必要があったことを思い出した。大学を卒業したあたりから、手指の乾燥がひどく、冬場以外でもハンドクリームは欠かせない。歳を重ねるとはこういうことなのかと、しみじみ思う。

今日は給料日だ。そして機嫌もいい。いい香りのハンドクリームがあれば完璧じゃないか。意気込んでドラッグストアに入った私であったが、そう広くない店内に並ぶハンドクリームの種類は、それほど多くはなかった。

また今度他の店で買ってもいいのだが、できれば、いやどうしても、今欲しい。更に欲を言えば、今まで使ったことがないものを買いたい。時世の問題でテスターはなかったが、柑橘系の香りなら間違いないだろう、とグレープフルーツのハンドクリームを手に取った。

ドラッグストアに行くとつい余計なものまで買ってしまう質の私は、この日も、柑橘の香りを謳うリップクリームが目に入ってきてしまった。オーガニックと書いてあるけど、高くはない。ネットでの評判も悪くない。私はハンドクリームとリップクリームを握りしめ、レジへと向かった。

 

つい数分前まではあんなに浮かれていたのに、帰宅する頃には、なんだかんだで散財してしまったなあ、と我に返りつつあった。

気を取り直して、早速ハンドクリームを使ってみる。いい香りを嗅ぐことでまた気分を回復しようという作戦だ。

クリームを手に伸ばすと、グレープフルーツの香りが漂ってきた。ところが、なんだかしっくりこない。臭いというわけではないが、何かが違う。

そうだ、リップクリームもあるんだった。パッケージから取り出し、キャップを外そうとすると、手がハンドクリームで滑ってうまく開けられない。おっとこれは雲行きが怪しくなってきたぞ。心の中で実況しながら、やっとの事でキャップを開け、唇に塗ってみる。

残念なことに、リップクリームの香りも、想像とはかなり異なっていた。私はここでやっと理解した。どちらの香りも、私の好みではない。むしろ苦手な香りだった。

 

二つの香りが混ざり合い、私はだんだん気分が悪くなってきた。急いで手と口を洗い、布団の上にうずくまる。こんなことで、と情けなくなるが、泣きそうになった。さっきまであんなに気分が良かったのに、余計な買い物をしたせいで、自分で全てを壊してしまった。買ったものが両方合わなかったというのも、ダメージが大きい要因だった。

 

それからというもの、私は自分の好きな香りがわからなくなっていった。それまで好きだった香りも、本当は嫌いなのではないかという気がして仕方なかった。アロマランプを使うほど香りに癒しを求めてきた自分が、まさかこんな状況になるとは考えもしなかったので、頭の中がひどく混乱した。

 

数日間ほとんど保湿をしないでいたら、湿度の高い日が増えてきたとはいえ、さすがに手の乾燥が気になるようになった。

もうなんでもいいや、とにかく匂いがしないものを…と思い、部屋にあったボディーローションに手を伸ばした。お風呂の中で使うボディミルクを買ってからというものの、ボディーローションはほとんど出番を失っていた。

白くとろみのある液体を手に伸ばしながら、はっとした。そうだ、無香料という手があるじゃないか。なぜ今まで気がつかなかったのか。いい香りのするものを求めすぎて、一番フラットな状態であるはずの「無」という選択肢を忘れていた。

無香料のボディーローションは、若干の原料臭はするものの、香りの主張がない分、混乱する気持ちをリセットしてくれた。数日ぶりに覚える安堵感。無香料ってこんなに素晴らしかったのか、と涙が出そうになった。

 

無という選択肢が実は最適解だった、という経験は、思い返せば過去にもあった。

私は子供の頃からこだわりが強く、肌が敏感だった。そのため、縫い目が気にならないよう肌着は必ず裏返して着ていたし、自分の好きな服しか着たくなかった。

妹を産むために母が入院し、祖母に預けられていた時も、私はお気に入りのミニーちゃんのTシャツ以外着ようとしなかった。夏場だったので、さすがに洗濯しなくては、と思った祖母はそのTシャツを脱がせたが、私は結局着替えることはせず、Tシャツが乾くまでパンツ一丁で過ごしていたという。

祖母は困り果てたことだろうと思うが、この時の私は、ミニーちゃん以外のTシャツを着るくらいなら裸でいる方が良かったのだ。まだ二歳と幼かったし、外に出ない分には特に問題なかったのである。もしこれが今の私だったら、家族の前で何も着ないで過ごすのはさすがに恥ずかしいと感じるし選択肢には入らないが、幼い私のあの瞬間においては「何も着ない」が最適解だったのだと思う。

 

服を着るか着ないか、というのは少し極端な話かもしれない。その一方で、無という選択肢、あるいは今の自分にはありえない選択肢を、なるべく想定しようとする人間でありたい、とも思う。

アイスコーヒーを飲もうとしていたら水出しコーヒーの文字が目に入ったように、考えてもいなかった選択肢は意外とすぐそばにあったりするし、その時点では存在しなかったとしても、工夫次第で実現できるかもしれない。

歳を重ねると、自分の知っている範囲内でしか思考できない気がしてしまうが、きっとそんなことはなく、注意深く見ていればヒントが見つかって、より良い最適解が導き出せるはずだと思う。最適解は、現状が更新されればいくらでも更新できる。

 

ただ、今これを書いている私は眠気と戦っているが、この場合はおそらく「何もしないで寝る」以上の最適解は得られない気がする。まして自分が座っているすぐ後ろに布団があるのだから、もう寝るしかない。眠すぎて他の選択肢を想定できるほど頭が回らない。人類は、眠気の前ではただ無力である。

 

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