全てが支えになる日まで

小学生の頃に観た「海猿」の映画で、なぜかはっきりと覚えている台詞がある。

 

かなりうろ覚えではあるが、船が沈みかけていて、乗客2人が取り残され、そこに主人公たちが救助に来たシーンだった。

ちょうど空気の残っている空間を見つけたものの、どんどん水位が上がってくる。このままでは呼吸ができなくなり、皆死んでしまう。生き残るためには泳いで別の場所に移動する必要があるが、1分30秒ほどかかるため、その間息を止めていなければならない。

救助隊は日頃から訓練しているが、問題は乗客の2人である。そのうちの1人はお腹に子供がいる。溺れてしまえば、お腹の子供も助からない。

決断を迫られ、緊迫した空気が流れた。

 

「私、中学時代水泳部だった」

 

妊婦の女性が言った。彼女は、昔水泳をやっていたからきっと大丈夫だ、息を止めていられるはずだ、と自分を鼓舞したのだ。

最終的に2人とも助かり、ハッピーエンドで映画は終わる。ただ、私にはなぜかこのシーン、この台詞が、やけに印象に残っているのだ。

 

いくら中学時代水泳をやっていたとはいえ、おそらくは10年以上前の話だ。肺活量はかなり落ちているはずだった。

それでも彼女があの台詞を口にしたのは、極限状態の中で自分を勇気付けるきっかけになるものとして、部活の経験が最も有力であったからなのだと思う。普段は活かされることのなかった彼女の経験が、思わぬところで心の支えとなったのだ。

小学生の私にとって、この展開はかなり衝撃的だった。

 

 

ちょうどその頃、私も水泳を習っていた。習っていた、というよりは、選手育成コースに所属して、週6日の練習に通っていた。そのコースはスカウトを受けなければ入れないので、初めのうちは自分の才能を信じて必死に練習した。

結論を言えば、私には特別才能があるわけでも、泳ぎの技術が高いわけでもなかった。大会ではいつも予選落ち、最下位で終わることもあった。1年ほどでコーチが変わってからは、怒鳴られることも増え、意地の悪いチームメイトに容姿をからかわれたりもして、練習はどんどん辛いものになっていった。

 

本当にあの頃は苦しかった。今思えばなぜやめてしまわなかったのだろうと思う。学校は登校拒否をしていたくせに、何故か水泳の練習だけは我慢して通い続けていた。学校よりも練習の方がよっぽど辛かったが、なんとなく水泳は行かなければならないような気がして、義務感だけで動いていた。

 

もうあの経験は二度としたくないし、既に一生分泳いだ気がするので、プールに行きたいとも思わない。時折コーチの怒鳴り声がフラッシュバックする。お風呂の中でうずくまってしまうこともある。

 

でも、だけど、きっと。あの最悪な日々だって、いつか支えになる日が来るかもしれない。海猿の女性のように、自分を鼓舞するきっかけとして、前向きに思い出す日が来るかもしれない。最近はそう信じている。

忘れてしまいたい日々や経験は誰にでもあって、「無駄なことなんて一つもないよ」という励ましを素直に受け入れるのは困難だ。その人にとっては、無駄どころか余計な傷を残した記憶なのだから。

それでも、いつの日か、ほんの少しの支えが必要なときに、その傷が突破口となるかもしれない。今は辛くても、今後長い人生を生きているうちに、そういうことがあるかもしれない。

 

そう言い聞かせながら、私は今日も生きている。無駄じゃなかったな、と思える日までは、とりあえず生きていようと思う。

 

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