カテゴリの向こう側に

なんかおいしいものが食べたい。いつもそんなことを考えていた。

 

おいしいものが食べたい、という気持ちは誰にでもあると思う。どうせ食べるならおいしいものの方がいいに決まっている。

ただ私の場合は、毎日おいしいものを食べているにもかかわらず、それでもなお「なんかおいしいものが食べたい」と口にしている。

母は料理上手だし、私自身もそれなりにはできる。むしろ自分の好きなように味付けできるので、場合によっては自分で作った料理が一番おいしいと感じることもある。

 

しかし何故かそれでは満たされない自分がいる。私は一体何が食べたいのだろう、と自問自答するが、毎回答えは出ずに終わるのだ。

「うまいなあ」と言いながら食事をしても、食後には「今回もなんか違ったなあ」と残念な気持ちになる。作ってくれた人にも食材にも失礼だと思う。

 

 

頭の中で、和・洋・中の様々な料理がぐるぐると回る。「ほらおいしいよ〜」と、豚汁うどんもハンバーグもエビチリも囁きかけてくる。

わかってはいるのだ。どれもおいしいし、私の好物であることに違いない。でも何かが違う。私は何か違うものを求めている。

何なんだ、私に足りないものは一体何なんだ。

 

 

答えが向こうからやってきたのは、突然のことだった。

私は時折、カップ麺を食べたい衝動に駆られる。しかしその時の我が家はカップ麺のストックを切らしていた。いつでも衝動的に食べることができるよう、スーパーのカップ麺売り場をくまなく見て回っていた。

その時だった。私の目に飛び込んできたのは、日清のトムヤムクンヌードル。心臓が急激に高鳴っていく。脳内に味の記憶が蘇る。程よい酸味とパクチーの香り、そして唐辛子の刺激……私が求めていたのは、これだったのだ。

 

それからというもの、エスニック料理が食べたい、という気持ちが日に日に強くなっていった。もちろんトムヤムクンヌードルも十分おいしいのだが、私はもともと生春巻きやフォーなども大好きなのだ。

昨年あたりから出かける頻度が著しく下がったので、家であまり作らないような料理を外で食べることも、ほとんどなくなっていた。そうこうしているうちに私は、「和洋中」のカテゴリの中でしかメニューを考えられなくなっていた。大好きなエスニック料理の存在を、すっかり忘れていたのである。

 

ようやく答えが出たことで、私は静かに興奮していた。エスニック、食べるぞエスニック。一人で色々食べちゃうぞ。

 

 

数日後、たまたまショッピングモールでひとり時間を潰すことになった。私はすかさず、モールのwebサイトでレストラン街のページを食い入るように見つめた。あった。あるじゃないかエスニック。しかもハーフハーフで色々食べられるじゃないか。生春巻きもついてくるじゃないか。なんてこった。迷う要素は一切なかった。

 

結果はもちろん、大満足。食べ終わった瞬間は、心のもやが晴れて、ガソリンが満タンになったような気分だった。このままどこまででも走って行けそうな気さえした。 

ところが、その満足感は長くは続かなかった。

翌日には、また「なんかおいしいものが食べたい」などと言い出したのだ。昨日満タンだったガソリンはどこへ消えてしまったのか。どこかへ漏れ出してしまったのかもしれない。

 

とにかく、自分を満たしてくれる料理を再び探すしかない。私が食べたい料理はきっと、和洋中でもエスニックでもない、日本に存在するカテゴリの向こう側にあるのだ。

海外に行けるようになったら、まだ見ぬ料理を求めて旅をしようかなあ、などと考えつつも、なんだかんだで今日もご飯がうまい。

 

 

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ガストのハンバーグもうまい