多くの人が帰路に着く電車の中。座席はぽつぽつと空いているものの、八割がた埋まっている。
この時間帯の電車にしてはめずらしく小さな子供の声がしたので目をやると、四歳くらいの男の子と、大きなリュックを背負い手にはエコバッグを持ったお母さんが手を繋いでいる。かなりの大荷物だ。
私以外の乗客も彼らをちらちらと見ている。なぜ見るのか、理由を聞いたわけではないけど、たぶんみんな同じことを考えていたと思う。
お母さんと男の子に、なんとか座ってほしいのである。
お母さんの荷物がかなりの重さであろうことは見て明らかだし、子供は眠くなっていてもおかしくない時間帯だ。更に男の子はお母さんに抱っこをせがんでいる。
……なんとかお母さんに座ってもらって、負担を減らしたい。
私を含む乗客はちらちらと視線を移しながら、あたりの様子を伺っている。どうすれば二人分の席を空けつつ、その席へと自然に促せるか。
意を決したように、両隣が空席だったおじさんが、ひとつ隣に体を移した。おおっ、おじさんすごい、やるじゃん。
しかしそのことに親子は気付かず、おじさんからのちらちらとした視線にも気付かず、二駅ほど先で降りていった。
おじさんは、ありゃーって顔をしていた。その隣の人も、私も、ありゃーって思った。
でも、でも、おじさんの取った行動とか、あの一瞬の団結感とか、それは決して意味のないものではなかったと思う。
そういうちょっとした気遣いとか、優しさが、世界を作っていくと思うからだ。
その場では実を結ばなかったとしても、絶対、誰かが見ていて、次の優しさに繋がっていくから。
たくさんの優しさでできた世界を、いつか見られるといいなあ。