7/27の日記

バイトが終わって、買い物をしている間に雨が降ってきた。

母に迎えを頼もうと電話をするも通話中。

台風は少し逸れたようだけど、私が歩き出した瞬間に雨が強くなってきて、いろんなものを呪った。

靴下とズボンに水が染みてきて気持ち悪い。すぐにシャワーを浴びる。夏でも暖かいお湯は心地よい。

 

昼は温野菜と冷凍の汁なし担々麺。以前食べた時より、おいしく感じなくなっていた。最近添加物を控えるようにしているから、そのせいかもしれない。

食べながら録画しておいた朝ドラを見る。私もこんな風に頑張れたらいいのになあ、とか思う。

 

午後には雨が止み、外で水気を切っておいた傘も乾いた。また濡れてしまう前に取り込む。

お隣の庭にサルスベリの木がある。夏に咲く花の中では、サルスベリが一番好きだ。紫陽花も好きだけど。

 

母が仕事に行っている間、おばあちゃんと二人きりで過ごす。おばあちゃんは塩漬けしたままのらっきょうをいつまでも放置している。多分またしょっぱくなって食べられなくなる。でも怒らない。認知症はそういうものだと割り切る。

 

夕飯はカレーを食べた。おばあちゃんとは別々で食べた。いつもそうしている。

カテゴリの向こう側に

なんかおいしいものが食べたい。いつもそんなことを考えていた。

 

おいしいものが食べたい、という気持ちは誰にでもあると思う。どうせ食べるならおいしいものの方がいいに決まっている。

ただ私の場合は、毎日おいしいものを食べているにもかかわらず、それでもなお「なんかおいしいものが食べたい」と口にしている。

母は料理上手だし、私自身もそれなりにはできる。むしろ自分の好きなように味付けできるので、場合によっては自分で作った料理が一番おいしいと感じることもある。

 

しかし何故かそれでは満たされない自分がいる。私は一体何が食べたいのだろう、と自問自答するが、毎回答えは出ずに終わるのだ。

「うまいなあ」と言いながら食事をしても、食後には「今回もなんか違ったなあ」と残念な気持ちになる。作ってくれた人にも食材にも失礼だと思う。

 

 

頭の中で、和・洋・中の様々な料理がぐるぐると回る。「ほらおいしいよ〜」と、豚汁うどんもハンバーグもエビチリも囁きかけてくる。

わかってはいるのだ。どれもおいしいし、私の好物であることに違いない。でも何かが違う。私は何か違うものを求めている。

何なんだ、私に足りないものは一体何なんだ。

 

 

答えが向こうからやってきたのは、突然のことだった。

私は時折、カップ麺を食べたい衝動に駆られる。しかしその時の我が家はカップ麺のストックを切らしていた。いつでも衝動的に食べることができるよう、スーパーのカップ麺売り場をくまなく見て回っていた。

その時だった。私の目に飛び込んできたのは、日清のトムヤムクンヌードル。心臓が急激に高鳴っていく。脳内に味の記憶が蘇る。程よい酸味とパクチーの香り、そして唐辛子の刺激……私が求めていたのは、これだったのだ。

 

それからというもの、エスニック料理が食べたい、という気持ちが日に日に強くなっていった。もちろんトムヤムクンヌードルも十分おいしいのだが、私はもともと生春巻きやフォーなども大好きなのだ。

昨年あたりから出かける頻度が著しく下がったので、家であまり作らないような料理を外で食べることも、ほとんどなくなっていた。そうこうしているうちに私は、「和洋中」のカテゴリの中でしかメニューを考えられなくなっていた。大好きなエスニック料理の存在を、すっかり忘れていたのである。

 

ようやく答えが出たことで、私は静かに興奮していた。エスニック、食べるぞエスニック。一人で色々食べちゃうぞ。

 

 

数日後、たまたまショッピングモールでひとり時間を潰すことになった。私はすかさず、モールのwebサイトでレストラン街のページを食い入るように見つめた。あった。あるじゃないかエスニック。しかもハーフハーフで色々食べられるじゃないか。生春巻きもついてくるじゃないか。なんてこった。迷う要素は一切なかった。

 

結果はもちろん、大満足。食べ終わった瞬間は、心のもやが晴れて、ガソリンが満タンになったような気分だった。このままどこまででも走って行けそうな気さえした。 

ところが、その満足感は長くは続かなかった。

翌日には、また「なんかおいしいものが食べたい」などと言い出したのだ。昨日満タンだったガソリンはどこへ消えてしまったのか。どこかへ漏れ出してしまったのかもしれない。

 

とにかく、自分を満たしてくれる料理を再び探すしかない。私が食べたい料理はきっと、和洋中でもエスニックでもない、日本に存在するカテゴリの向こう側にあるのだ。

海外に行けるようになったら、まだ見ぬ料理を求めて旅をしようかなあ、などと考えつつも、なんだかんだで今日もご飯がうまい。

 

 

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ガストのハンバーグもうまい

 

名前と安心

左右盲、という言葉を最近知った。

左右の区別が苦手な人々をこう呼ぶらしい。

 

かく言う私も、「左右盲」のひとりだ。昔から右と左の感覚が掴めず、今でも判断に時間がかかる。

特に車を運転している時や、助手席でナビ係をしている時などはひどいものである。教習所では受けた指示と真逆の方向に曲がって教官に呆れられ、道案内に至っては地図を見ているにも関わらず、車を誤った方向へと導いてしまう。GPSがなかったら一生目的地にたどり着けないかもしれない。

 

自分は左右もわからないほど頭が悪いのか、と自信を失う経験をたくさんしてきたし、こんな悩みを抱えているのは私だけだろうと思っていた。

もし一つ可能性があるとしたら、高校生の頃に診断されたADHDの影響かもしれない。左右がわからないなんて特性は聞いたことがないが、とりあえず調べてみよう……私は全く期待せずに、「左右 わからない 発達障害」とネットで検索した。その検索結果として出てきたのが、左右盲という言葉だった。

 

左右盲は障害や病気などではないが、原因は解明されていないらしい。女性と左利きの人に多い傾向にある、とのことだが、左利きの人が混乱するのはなんとなく理解できる。左利きが右利き社会で生きていくのは、周囲が思っているより大変なのだ。

大変なのだ、とわかったような口ぶりで書いているが、実を言うと私は左利きではない。左利きではないと言うのも嘘になるが、なんとまあ、両利きなのである。

ただし、両利きとは言っても両手を自由自在に扱えるわけではない。どちらかといえば、「両方しっくり来ない」のだ。

 

現時点ではペンは右手、お箸は左手で落ち着いているが、これがナイフとフォークになるとどっちをどっちで使えばいいのか全くわからず、とりあえずその時の感覚で決めるようにしている。ボールを投げるとか蹴るといった動作も、どちらでやってもうまくいかないが、これは単に運動音痴なのかもしれない。

 

そんな状態で20年以上生きてきたので、左右の感覚が掴めないのはある意味当然のことのようにも思える。

頼りにしている部下のことを「右腕」と呼んだりするが、これは多くの人が右利きであることに由来している。よく使う右の腕を信用しているから、といったところだろうか。ところが、私の場合どちらの腕も信用しているし、信用ならないこともあるので、右も左もフラットな視点で捉えている。左右の感覚が養われてこなかったのはそのせいかもしれない。

 

私にとって密かなコンプレックスであった「左右の区別の下手さ」だが、左右盲という名前を与えられたことによって、この悩みを抱えているのは自分だけではなかったのだ、と劣等感が少し小さくなった。潜在的に埋もれていた悩みが、社会的地位を得たのである。

この社会的地位というものは、精神面の健康においてある程度重要なのではないかと思っている。例えばうつ病にしろ何にしろ、精神疾患の多くは病名が与えられない限り、その人の性格として捉えられてしまうことが多い。適切な対処をしないままでいると、社会で活動することが難しくなったり、本人の自尊心が削がれてしまう恐れがある。病名がついて初めて、社会的な立ち位置の調整が可能になり、寛解に向けての希望が開けるのだと思う(当の本人は絶望の渦中にいたとしても)。

 

では何にでも名前をつければいいのかというと、そこはかなり難しいところだ。全てを普遍的に分類することはできないし、名前を与えられすぎると、自分の存在がどこにあるのかだんだんわからなくなってくる。既にあるものの集合体でしかないような気がしてくるのだ。

 

このテーマについて書き始めるとキリがない上、明確な答えが出るようなものでもないが、名前が与えられたことによって救われ、考えた経験として、ここに書き留めておく。

 

ちなみにこの記事を書いていて気がついたのだが、「左右」はきちんと「左」は左で「右」は右の配置になっている。世間では当たり前のことなのかもしれないが、私にとっては大きな発見だ。ただ、それを発見したからと言って左右がわかるようになるわけではないのが悲しい。

 

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全てが支えになる日まで

小学生の頃に観た「海猿」の映画で、なぜかはっきりと覚えている台詞がある。

 

かなりうろ覚えではあるが、船が沈みかけていて、乗客2人が取り残され、そこに主人公たちが救助に来たシーンだった。

ちょうど空気の残っている空間を見つけたものの、どんどん水位が上がってくる。このままでは呼吸ができなくなり、皆死んでしまう。生き残るためには泳いで別の場所に移動する必要があるが、1分30秒ほどかかるため、その間息を止めていなければならない。

救助隊は日頃から訓練しているが、問題は乗客の2人である。そのうちの1人はお腹に子供がいる。溺れてしまえば、お腹の子供も助からない。

決断を迫られ、緊迫した空気が流れた。

 

「私、中学時代水泳部だった」

 

妊婦の女性が言った。彼女は、昔水泳をやっていたからきっと大丈夫だ、息を止めていられるはずだ、と自分を鼓舞したのだ。

最終的に2人とも助かり、ハッピーエンドで映画は終わる。ただ、私にはなぜかこのシーン、この台詞が、やけに印象に残っているのだ。

 

いくら中学時代水泳をやっていたとはいえ、おそらくは10年以上前の話だ。肺活量はかなり落ちているはずだった。

それでも彼女があの台詞を口にしたのは、極限状態の中で自分を勇気付けるきっかけになるものとして、部活の経験が最も有力であったからなのだと思う。普段は活かされることのなかった彼女の経験が、思わぬところで心の支えとなったのだ。

小学生の私にとって、この展開はかなり衝撃的だった。

 

 

ちょうどその頃、私も水泳を習っていた。習っていた、というよりは、選手育成コースに所属して、週6日の練習に通っていた。そのコースはスカウトを受けなければ入れないので、初めのうちは自分の才能を信じて必死に練習した。

結論を言えば、私には特別才能があるわけでも、泳ぎの技術が高いわけでもなかった。大会ではいつも予選落ち、最下位で終わることもあった。1年ほどでコーチが変わってからは、怒鳴られることも増え、意地の悪いチームメイトに容姿をからかわれたりもして、練習はどんどん辛いものになっていった。

 

本当にあの頃は苦しかった。今思えばなぜやめてしまわなかったのだろうと思う。学校は登校拒否をしていたくせに、何故か水泳の練習だけは我慢して通い続けていた。学校よりも練習の方がよっぽど辛かったが、なんとなく水泳は行かなければならないような気がして、義務感だけで動いていた。

 

もうあの経験は二度としたくないし、既に一生分泳いだ気がするので、プールに行きたいとも思わない。時折コーチの怒鳴り声がフラッシュバックする。お風呂の中でうずくまってしまうこともある。

 

でも、だけど、きっと。あの最悪な日々だって、いつか支えになる日が来るかもしれない。海猿の女性のように、自分を鼓舞するきっかけとして、前向きに思い出す日が来るかもしれない。最近はそう信じている。

忘れてしまいたい日々や経験は誰にでもあって、「無駄なことなんて一つもないよ」という励ましを素直に受け入れるのは困難だ。その人にとっては、無駄どころか余計な傷を残した記憶なのだから。

それでも、いつの日か、ほんの少しの支えが必要なときに、その傷が突破口となるかもしれない。今は辛くても、今後長い人生を生きているうちに、そういうことがあるかもしれない。

 

そう言い聞かせながら、私は今日も生きている。無駄じゃなかったな、と思える日までは、とりあえず生きていようと思う。

 

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川はそこにいる

テレビで富山県が映ったとき、祖母は言った。

「おやべがわっていうのが確かあったわね、私富山に疎開してたのよ」

 

私はどうリアクションすればいいかわからず、ふーん、と言いながら、とりあえずスマホで調べてみた。小矢部川。確かにあった。

疎開疎開か。今の時代には馴染まない響き。もちろん馴染まない方がいいに決まっているが、それにしてもなんだか、私には現実離れした言葉に聞こえる。自分が戦争というものを経験していないから、当然のことだ。本当にそんなことをしていた時代があったのか、と不思議に感じてしまう。

 

ただ、よくよく考えてみれば、今の時代だって現実離れしているというか、世界中でマスクと消毒液が欠かせない生活になるなんて誰も想像していなかったし、ひょっとしたら未来の子供たちは「本当にそんな時代があったの?」なんて思うかもしれない。そんな未来が待っているのかどうかはさておき。

 

正直、マスクをしていなかった頃の生活を既に忘れかけている。記憶の中で友達と遊ぶ大学時代の私は、いつの間にかマスク姿に塗り替えられていて、しばらくしてからはっとする。そうだ、あの頃はまだマスクをしていなかった。気がついてから、少し落ち込む。

現代の人々がマスク生活に慣れ、それが日常となってきたように、戦争中の子供たちにとっても、疎開先で生活することは普通の日常だったのかもしれない。もう他に選択肢はないし、特に疑問も持たなかったのだと思う。

 

そう考えると、当たり前ってなんだろう、とわからなくなってくる。その時その時で状況は異なるし、平和で豊かで健康に生活していることが当たり前だなんて、そんな考えをする方がおかしいのかもしれない、とすら思う。自分の半径数メートルでの日々は、ほとんどいつも完璧ではない。それなら世界規模ではなおさら、完璧な日々なんて存在し得ない。ただ都合よく見ていただけなのだ。

 

 

祖母が話していた小矢部川の画像を見ると、立派な川だった。桜がきれいに咲いている画像も出てきて、きっと地元の人には愛されているのだろう。

川とか山とか、自然のものは一見すると、変わっていくスピードが人間の社会よりも遥かに穏やかで、私はその緩やかさに救われ、気づかされることがままある。

戦争中も今も、小矢部川はずっとそこにあって、ただ流れている。私は実際にその場所を訪れたことはないが、ただそこに変わらずあると考えるだけで、この世界の大きな流れの一部に触れているような気がする。

 

 

自宅の近所にも川が流れていて、数年前はよく散歩に出かけていた。鴨や白鳥が水面を滑る姿に癒されたし、心が洗われるような感覚があった。

でも今は、ほとんど行かなくなってしまった。特にこれといった理由があるわけではないが、以前より忙しくなったのは確かだし、川まで歩こうと思う余裕がないのかもしれない。川に行かない、たったそれだけのことなのに、なんとなく後ろめたさを感じている。

一方で、川はいつでもそこにいる。私の後ろめたさや、社会の混乱なんて関係なく、昼間は光を反射して、鳥や魚たちの居場所となっている。これは大きな救いだと思う。

 

ずっと先の未来の人たちも、あの川を眺めるのだろうか。それとも、いつかは川のない世界が当たり前になるのだろうか。自然にも変化はあるし、人間がそれを加速させているのだから、それは仕方のないことなのかもしれない。でもきっと、まだしばらくは、川はそこにいる。そうであって欲しいと思う。

 

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野良コンポジション・コレクション その2

続きは来週などと言いつつ一週間以上経ってしまった。

 

その1はこちらから↓

muda.hatenadiary.jp

今日はその2である。前回紹介しきれなかった野良コンポジションを紹介していきたい。

 

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地下鉄の階段で発見した野良コンポジションである。手元にフィルムカメラしかなかったので、とりあえずそれで撮影した。

タイル張りの壁に2色のマスキングテープが貼られ、幾何学模様のようになっている。所々に数字が振ってあり、おそらく修繕工事か何かに使用する印のようなものだと思われる。色分けされているのも識別のためであって、あくまでこれは装飾ではない。

 

それにしても、なんとも興味を惹かれる光景である。テープはタイルの目に沿って貼られており、ドット絵で描かれた世界地図でも見ているかのような気分になる。

例えば、緑とピンクの大陸や島にはそれぞれ異なる民族が住んでいるとする。緑の民族は規則性の高い都市計画を立てたため歪みの少ない土地を好み、ピンクの民族は小さな島に散り散りになったことで様々な文化を持った村に別れた、などと色々想像できて楽しい。

 

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続いては野良コンポジションの醍醐味とも言える、適当さが生んだ躍動を感じることのできる例である。

プレハブのような小屋の側面に、磁石が不規則に貼られている。不規則に、というよりは適当に貼ったに違いない。ところが、その適当さがかえって素晴らしい躍動感を生み出しているのだ。

縦に貼られた白いシート状の磁石が、一枚だけ他とは離れた場所にあるのがいい。これがいいアクセントになっている。また、白黒と寒色がメインの構成となっている中、一本だけオレンジ色の磁石があるのもまた素晴らしい。ずっと見ているとカクレクマノミや他の魚たちが生き生きと泳いでいるようにも見えてくる。緑や青の水草が揺れ、時折水面に向かって泡が上がっていくのである。

 

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さて、今回は少し妄想し過ぎているので、最後の一枚はコメントが難しい例を紹介する。

 

アパートか何かの壁を撮影した。正直、このグレーの図形たちが何の役割をしているのか、私には皆目見当がつかない。何か亀裂か穴のようなものを塞いだのだろうか?

そんな疑問はさておき、淡いブルーとグレー、そしてホワイト、この調和が見事である。形の歪さや並び方も、なんとも愛らしい。これはシンプルにかわいい。

 

 

今回は以上となるが、また収集が進み次第記事にしていこうと思う。それにしても最後の例の正体が気になる。

【予告とお知らせ】手紙売ります、ほか

手紙を売る、という試みを始めてみることにしました。

 

手紙って不思議な存在だなあとよく考えます。日常と深く繋がっていて、かつ特別な感情を生み出してくれる。他にはない魅力が数えきれないほどあります。

私自身、手紙というものがとても好きで、今でも友人とやり取りをしたりしています。そうして「手紙っていいな」と実感していくうちに、知人であるなしに関係なく、手紙を贈る・贈られるという行為そのものが、心を豊かにしてくれるのではないかと思うようになりました。

 

遠くの土地に想いを馳せたり、見知らぬ人の生活や頭の中を覗いてみたいなあ、なんて思うこと、結構みんなあるんじゃないかと思うんです。でも大抵、そういう考えはほんの一瞬で霧のように消えてしまって、また忙しない日々に戻っていきます。

それは決して悪いことではありません。流れの速い川を泳ぐように、懸命に生きて、それでやっと生きていられる。そういう人はきっと少なからずいます。私もその一人です。

 

でも、ひょっとしたら、消えかかっている霧は私にとって、あるいは誰かにとって、かなり大切なものなんじゃないか、と思う瞬間もたくさんあるのです。ゆっくりと漂う流れに身を任せることも、時には必要なのではないかと思います。

 

ですから、この試みはあえて霧の中をゆっくり散策するような、そんな気持ちで始めてみようと思います。

 

以下、詳細をまとめてみました。

 

 

【手紙売ります】

  • 1回500円で私があなたに1通の手紙を贈ります。どなたでも歓迎します。
  • 500円という金額設定にしたのは、シンプルに活動を続けられるようにするためです。いただいたお金は、大切に使わせていただきます。
  • 手紙の内容は、リクエストも受け付けるようにはしますが、特になければこちらで心を込めて自由に書きます。
  • 毎回、何かおまけを同封する予定です。私があなたにも見せたい!と思ったものをおすそ分けします。
  • 6月6日頃までにネットショップのページをここで公開します(その方が決済など簡単だと思うので)。そちらからご注文ください。

追記:公開しました!クレカも使えるようになりました。

dokokanosakippo.stores.jp

  • ご注文をいただいたあとお手紙が届くまでにしばらくお時間をいただくことがあります。忘れた頃に届く方が嬉しいような気がするからです。お急ぎの方はその旨お伝えください。丁寧にマッハで書きます。

 

その他何かご不明なことがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。

https://forms.gle/36LNThhPrrvo8ybQ8

 

また、OFUSEでの応援も随時受け付けています。いただいたメッセージには必ず返信いたします。

ofuse.me

 

ここからは少し、今後の活動について書いていこうと思います。

今回始める手紙の試みにも共通することなのですが、私のライフワークの一つとして「詩を日常世界に持ち込む」というのがあります。

詩と言っても、言葉の詩に限定されるものではありません。世界のいたるところ、あらゆる瞬間に詩は潜んでいると私は考えています。

ただ、なかなか見えにくいところにあったり、そのままの状態だと見えなかったりすることが多いように感じます。それを知覚できるようにしたい、という願いが私の中に以前からあるのです。

今後、様々な手段を用いて、詩を日常世界に持ち込む仕事がしたいと考えています。気にかけていただけると嬉しいです。

 

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