あの日を覚えていない私は

9月11日。ようやく、1回目のワクチンを打った。

 

遅めの昼食を食べすぎてしまったせいではちきれそうなお腹を抱えたまま、一瞬で摂取は終わった。15分の待機時間を過ぎても、胃のムカつきは残ったままだった。

 

家に帰って、2回目の予約をする。予約画面に表示された今日の日付を見て、はたと思う。あれ、今日って9.11じゃん。今朝もニュースで見たはずなのに、なぜか今になって実感が湧いてくる。あの日から、今日で20年になる。

 

当時5歳だった私は、父の転勤でニュージャージー州に住んでいた。アメリカに住んでいた数年間は、私の人生において最も楽しかった時代と言って差し支えないと思う。もちろんはじめは慣れなかったし、嫌なこともあったけど、アメリカでの生活は自分に合っていたような気がする。

充実した日々を送っていただけあって、あの頃の記憶は今も鮮明に残っているものが多い。親友とピンポンダッシュをしてベビーシッターに怒られたこと、ハロウィンで叔父が被っていたライオンの被り物が怖かったこと、中国系のクラスメートのお父さんが作った餃子がとても美味しかったこと……楽しかったことも嫌だったことも、頭の中で映画を観るようにはっきりと思い出せる。

 

それにもかかわらず、私はあの日のことは全くと言っていいほど覚えていない。あの日のことだけではなくて、その後の混乱や変化も、本当に一切記憶に残っていないのだ。両親がなるべくその話題に触れさせないよう努力していたのかもしれない、と思って尋ねたが、そういうわけでもないらしい。

5歳という年齢を考えると、そんなものなのかもしれない。両親でさえ、まるで映画のワンシーンのようだったと言っているくらいなのだから、飛行機がビルに突っ込んでいく映像も、子供の私には印象的ではなかったのかもしれない。

 

とはいえ、あまりにも記憶がないので、それが何となく違和感として心に立ち現れてきた。別に覚えていなくたって、何が困るわけではないけど、何となく悔しいような、情けないような気持ちになる。こんなに他人事だったっけ、と自分が薄情者のように思えてくる。

私がアメリカ人だったら少しは違ったんだろうか、などと考えたりもするが、別にそうなりたいわけでもなくて、自分の気持ちがわからなくなってくる。

 

もしかしたら何かヒントがあるかもしれないと思い、父に当時の話をそれとなく聞いた。記録として書き残しておく。

 

あの日父はミネソタに出張していて、ホテルのテレビで事態を知った。生中継の映像で飛行機が突っ込んでいくのを見た瞬間、「あ、テロだな」と思ったという。一方で、まさか現実にそんなことが起こるとは、しばらくの間は信じられなかった。

ホテルのロビーに降りると、ざわつきの中、アメリカ人はすぐさまレンタカーをあるだけ押さえていた。一刻も早く家族の顔が見たい、そう思う人が多かったようだ。

ニューヨークまでは車で20時間ほど。どのみち飛行機は一切飛ばないので、父たち日本人も、ホテルが用意してくれた食料と水をレンタカーに積み、交代で運転してニューヨークを目指した。

フィラデルフィア近辺まで来ると、辺りは煙で覆われていた。いたるところの電光掲示板に"United We Stand"と表示され、物々しい空気が漂っていた。煙の上がるツインタワーが高速道路から見えた時、「これは夢じゃないんだ」と父はようやく実感した。

 

あの日からいろんなことが変わっちゃったよね、と父は言う。アジア人に対しては厳しい目が向けられるようになり、あらゆるセキュリティも厳重になった。

ワールドトレードセンターという場所がターゲットになったことも、アメリカ人にとってはかなりの衝撃だった。日本で言えば、そうだな、東京タワーとかスカイツリーに飛行機が突っ込むくらいのものかな、いやもっとかもしれないな。パパもね、PTSDまではいかなかったけど、もしかしたらあの飛行機に乗っていたのかもしれなかったから、しばらくは思い出して辛かったよ。目を閉じて眉間に皺を寄せたまま、父は話を終えた。

 

 

結局のところ、いくらアメリカにいたとはいえ、私は実際の光景を目の当たりにしたわけではないし、身近な人が犠牲になったわけでもない。つまり当事者ではないのだ。それなのに私は、「当事者意識」のようなものを持っていない自分に違和感を抱いていた。浅はかだったな、と反省する。当事者ではないのに、当事者の気持ちなんてわかるわけがなかった。

だけど、それは考えなくてもいい理由にはならない。他人事にしていい理由にはならないと思う。私は多分、自分の無関心や無知を、ごまかそうとしていたのかもしれない。ごまかそうとする自分に、情けなさを感じていたのかもしれない。

 

私が考えたところで、何かできるわけじゃないし、世界が変わるわけでもない。

でも、でもなあ。いい世界になって欲しいって、心からそう思っているのは間違いなくて、何かできる人ならよかったなあって、もどかしさを感じる。

ワクチンの副反応で左腕が痛くなってきた。私に今できること……と考えてみても、とりあえずは外出を控えて、ウイルス対策を徹底することくらいしか思い浮かばない。25歳、子供の頃想像していたよりも無力だ。