今月いっぱいで退職するパートさんとは、今日で会うのが最後だった。
あまりゆっくり挨拶もできなかったけど、ちょっとおしゃれな入浴剤をラッピングして、プレゼントした。
「嬉しい。きっと娘も喜ぶ」
そう言って喜んでくれた。いつも子供のことを優先して考えているところに、お母さんらしさを感じた。
本当は、もっと別の形で力になりたかった。そう思うのはおこがましいのかもしれない。
彼女の退職理由は、家庭の事情、ということになっていたけど、私はもう少し詳しい話を、以前本人から聞いていた。
何か力になれないだろうか、と思った。なれないのはわかっていたけど、何もできない自分がもどかしかった。ただの仕事仲間とはいえ、私にできることがあるなら手伝いたかった。
大学時代にうつ病を患ってからというもの、もどかしい思いばかりしている。
私にもっと体力があればよかった、精神的にもタフだったらよかった、そんなことをよく考える。心が脆いと、たくさんのことを諦めなければならない。正規の仕事も、やってみたいことも、手を伸ばそうとすれば必ずどこかに引っかかってしまう。引っかかった懸念事項に怯えて、今回は諦めよう、と何度も手を引っ込めてきた。無理をしたこともあったけど、それでうまくいくはずもなかった。
最近になってようやく気がついた。私にできることは、そんなに多くない。誰かにしてあげられることも少ないし、ましてや社会でどうこうなんて、とんでもない。社会は弱い人間が行動を起こせるほど、優しいシステムにはなっていないのだ。
辛い事実ではあるけど、自分の体調のことを考えれば、受け入れるほかない。
一方で、それでも何かしたくなってしまうのは、弱い人間の性だろうか。自分が弱いぶん、他人には優しくしたい。結局は自分のためだけど、もし相手も喜んでくれるのなら、これ以上のことはない。そう思う。
たぶん、だから、私は入浴剤をあげるのだ。そんなの、無力な私のおこがましさの塊かもしれないけど、きっとお風呂は気持ちがいいだろうから。入れば少しは、さっぱりするだろうから。
私にはこのくらいのことしかできない。でもこのくらいならできる。
できるとできないの狭間で揺れる感情を、毎晩お風呂に浸かって落ち着かせている。